監督の頭の中にようこそ!

神戸新聞*平成12年8月21日掲載分

日本体育協会公認アスレチックトレーナー
ペガサス明石監督  中村浩幸

 シドニー五輪の開幕が来月に迫っている。
前回のアトランタ五輪から減るものの、
日本からは男女計二百五十人以上が参加する。
また、パラリンピックにも百五十人以上が出場するという。
盛大な大会である。

 だが、五輪に出場する選手は、全体のほんの一握りに過ぎない。
日本の小学生のスポーツ選手、
また、小学生を指導するすべての人が、
このようなトップレベルの大会を目指す必要があるのだろうか?

 私は小学生の段階から、五輪などのトップレベルを目標にして、
スポーツに打ち込ませることに疑問を感じている。
(国、又は各競技団体のタレント発掘に選ばれた人は別として)。
勝つためだけもしくは、
それに近い考えで小学生に指導している方が多い気がする。

(その事に指導者本人がわかっていない人も少なくない)。 

 私自身、明石市内の小学生バレーボールチームの監督を務め、
子どもたちとかかわりを持っている。
結論から述べれば、小学生のスポーツは「遊び」でよいと思う。

 われわれが子どものころは、
近所の公園に自然と集まり、何人かで遊んだ。

この遊びの中から上下関係が生まれ、
自然と信頼関係が築かれた。


木登りでバランス感覚を養い、
追いかけたり追いかけられたりで脚力を鍛え、
同時に危険予知も感覚としてとらえることができた。

楽しかったり、けんかしたりしながら、
子どもながらに、さまざまな人と絡み合って過ごしたものだ。

 私は今、
忘れられがちなこのような経験をスポーツに置き換えることに努めている。


確かに「遊び」という言葉の響きでは「しかったり、指導したりしないで、
まったく自由にさせる」という感覚がなきにしもあらずだが、
それは少し違うと思う。

 私はバレーボールの練習で子どもたちに
「自由にしなさい。でも、最低のルールは守ること」と言っている。
しかったり、指導したりすることは、もちろんある。
だが、ルールの中で自由にさせることを心掛けている。



 指導者は子どもたちとの関係を「指導者と選手」ではなく、
「人間と人間」として信頼し合い、指導していくべきである。

だが、今の子どもたちがスパルタ的指導を受けて、
スポーツを続けていくとは思えない。
指導者は安易にスパルタ的指導に流れず、
レベルが低くても、
一生懸命、楽しく指導する事が必要だと考える。

確認しておくが、小学生においての話であって、
中学・高校はまた別の話かもしれない。

 また、大人は自分の「ミニチュア」をつくろうとする傾向がある。
子どもたちを介して、

大人である指導者同士が競い合ってはまったく意味がない。

指導者がそれぞれの”鼻の高さ”を競い合うあまりに、

身体的に未発達子どもたちに過度な練習を課したり、
高い技術を求めたりしていないか。

あくまでも、主役は子どもであることを忘れてほしくない。


 日本のバレーボールは全力で挑んでいたのにもかかわらず、
男女ともにシドニー五輪への出場を逃した。

さまざまな要因があるだろうが、
小学生レベルの指導が少なからず、
関係しているように思えてならない。

 諸外国と比較すると、日本の小学生の競技レベルは非常に高い。
誤解を招くかもしれないが、
もっと低くてもいいのではないだろうか。

指導者が子どもたちに高いレベルを求めるあまりに、
本来の目的を失っている。


個人の技術向上よりも
大人と子どもが一緒のスポーツで遊び、楽しむことが
何よりも大切だと思う。


その姿勢こそが、
メダルを取れる一番の近道ではないだろうか。

 ホームへ戻る